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愛知歴史探訪 蜂須賀小六編1

こんにちは。都タクシーのブログ担当ノロです。

 

愛知の誇る三英傑。

歴史好きが集まると、

信長・秀吉・家康のなかで、一番評価すべきはだれか?という話によくなります。

 

あくまで、個人的見解ですが、こういうとき最も評価の低いのは秀吉です。

では、なぜ秀吉が天下を獲れたかと言えば、

人をうまく使いこなしたというところが大きいのではないでしょうか。

 

今日は秀吉の臣下のなかで、少し面白い逸話のある武将を紹介したいと思います。

 

その名は、蜂須賀正勝。通称である蜂須賀小六のほうが有名だと思います。

出身は、現在の愛知県あま市になります。

 

あま市に、「蜂須賀」という地名がある通り、

蜂須賀家は、このあたりの領主で、美濃の齋藤道三に仕えていました。

小六はそんな蜂須賀家に生まれました。

現在は「蓮華寺」というお寺があり、そこが蜂須賀城址だといわれています。

のどかな田園のなかにポツリとある、立派なお寺で、いまも蜂須賀家のことを伝えています。

 

お寺の山門横には、ここが蜂須賀城址であることを示す顕彰碑がのこされています。

秀吉の父は、もともと、蜂須賀小六の父である正利に仕えていたとも言われており、

幼少期にふたりが面識があったという説もあるそうです。

 

こちらの蜂須賀城址から歩いて少しいったところに、もうひとつお寺があり、

そちらには蜂須賀家の屋敷跡の碑がのこされていました。

 

美濃の齋藤道三が敗死したのち、小六はいろいろなところを転々としたようですが、

川並衆という独立集団を束ねるようになります。

川並衆と言えば、織田信長が美濃攻略の際、墨俣に築いた一夜城を

築城するときに、秀吉とともに活躍したとされています。

岐阜県大垣市にある墨俣城は、「秀吉出世の城」として、

橋の欄干に秀吉の旗印であるひょうたんがかざられています。

上の顕彰碑の説明書き写真にも、小六が墨俣城を築くのに功績をあげたことがかかれていますね。

 

さて、ここで冒頭の話に戻りますが、

現代世界にもし、三英傑がいたらと考えると、

信長はものすごく頭は切れそうですが、ワンマン社長で厳しそうです。

家康は、敏腕ではありますが、非常に硬い手を打つ経営者としては面白みのない社長でしょうか。

 

その点で言うと、秀吉は現代でも社長として成功しそうな気がします。

でも、部下はすごく疲れるかもしれませんね。

 

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