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愛知歴史探訪 福島正則編2
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
名古屋には、堀川という川があります。
これが、名古屋の南北を貫く川で、北は守山区の庄内川から取水して
名古屋城を回り込み、名古屋港まで流れています。
車が発達する以前は、こちらの川が物流の中心になっていました。
つばめ自動車本社から、少し西にいった堀川沿いに
小さな広場があります。
この広場のなかに立っている像、
これが以前、大酒のみで失敗したエピソードを紹介した、福島正則の像です。
1610年、名古屋城築城の際、徳川家康から命じられ、
この堀川を掘ったのが、福島正則なのです。
福島正則の生い立ちから、堀川開削のことまでしっかりとかかれたプレートがあります。
当時は、いまほど堀川は長くなく、名古屋城から熱田までのおよそ6kmと言われています。
ですが、重機も技術もない時代に、この堀川を作ったのですから大仕事だったはずです。
この堀川が完成したおかげで、堀川流域は、物流の拠点となり、
名古屋は発展しました。
名古屋発展の礎は、福島正則が築いたといっても過言ではないわけです。
以前のブログでは、福島正則の大失敗エピソードを取り上げてしまったので、
今回は持ちあげておきました。