つばめタクシー採用サイトつばめタクシーグループ
合同採用サイト

ブログ

blog

ブログ

愛知歴史探訪 柴田勝家編1

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

以前、信長の重臣である丹羽長秀を紹介しましたが、

今回の歴史探訪は、信長のもうひとりの重臣、柴田勝家をご紹介します。

 

今回の舞台は、名古屋市名東区一社。

 

上社ICのすぐそばに、明徳寺というお寺があります。

坂の上にたつ小さなお寺です。

 駐車場が一応あることはあるのですが、

あいていないこともあるので、注意が必要です。

 

こちらの階段を上ると、右手に

こちらが下社城というお城であったということを示す碑がたっています。

そしてふりむと、もうひとつの碑がたっています。

織田信長の重臣、柴田勝家の誕生地であることを示す碑です。

立札もたっています。

こちらに勇猛な武将であったと書かれていますが、

戦国武将で勇猛な武将というと、私はまず、柴田勝家の名前をあげます。

その勇猛さから、「鬼柴田」の異名を持っていました。

 

豊臣秀吉は、信長の家臣だった時代、「羽柴」の姓を名乗っていますが、

以前紹介した丹羽長秀と、柴田勝家の両方からの名をとったと言われています。

 

このお寺までのぼる坂には、

 勝家坂と名前がついていました。若いころの勝家は、この坂を駆けたのでしょうか?

 

ところで、有名な戦国武将には、

必ず、優秀な部下がいることは当たり前のことで、それを称える名称がつけられています。

 

例えば、徳川家康に仕えた「四天王」。

武田信玄には「武田二十四将」がいました。

 

信長の重臣には、こういう小唄がのこっています。

 

「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間」

 

木綿のように使い勝手が良い木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)。

米のように、なくてはならない五郎左(丹羽長秀)

攻撃面において突撃にかかる柴田勝家。

そして、退却戦の巧者である佐久間信盛。

 

実にかっこいいフレーズです。

 

実は、都タクシーにも、異名をもつ運転手さんが数名いらっしゃいます。

新しく入社されるドライバーの方々も、

いずれは、このように謳われるような存在になると良いなといつも思っています。

 

電話でのお問い合わせ

0120‐758‐280

受付時間:9時〜17時

時間外でも結構ですが、
お返事が遅くなる場合がございます

応募フォーム

今すぐ応募する