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愛知歴史探訪 家康編5

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

令和になって4年目を迎えますが、日本と言うか世界に目を向けても良いこというのはなかなかありません。

コロナ禍に、ウクライナ情勢、テレビで伝える情報というのは

なにか偏っていて、見ていると暗い気分になります。

 

コロナ禍になってからというもの、私はテレビから距離をおくようになってしまいました。

見るのはほんの少しのドラマとバラエティくらい。

 

そんな視聴数が少ない私が見ている数少ない番組のなかに、「博士ちゃん」という番組があります。

大人顔負けの知識を持つ「博士ちゃん」が、いろいろなことを紹介してくれる番組です。

 

このような暗い世の中にあって、どうか、その子たちの未来があかるいものであるように願っているのですが、

その番組で、先日、戦国武将の紹介をする回がありました。

 

そこで登場した「博士ちゃん」は、徳川家康は「ビビリだ」と紹介していました。

 

私は、それを聞いて仕方ないんじゃないかなと思ったのです。

 

テレビのバラエティなので、「ビビリ」と面白おかしく紹介していましたが、

徳川家康は若いころから、かなりつらい目にあってきました。

 

人質になっていたことは、こちらのブログでも紹介しましたが、そののち、

桶狭間の戦いで、今川が負けて、地元三河にもどり平和に……、となれば良かったんですが、

それからも家康は命の危機と呼ばれるものに何度もあっており、

「家康三大危機」などともいわれております。

 

有名なのは三方ヶ原の戦い。当時、イケイケの武田軍と静岡の三方ヶ原で戦い敗走。

城にもどった家康は、ちびってしまい、それを絵師に描かせたというのは、こちらのブログでも紹介いたしました。

 

つぎに、所謂「伊賀越え」というものでこちらも、歴史マニアの間では有名なエピソードです。

大阪から京都へ上洛する途中で、本能寺の変により信長が死んだことを知り、急遽三河に戻ることになります。

家康は僅かな兵しか連れておらず、落ち武者狩りや信長と敵対した勢力がいるなか、命からがら三河にたどり着いたというものです。

 

ふたつとも、愛知県外のエピソードなので、説明はこれくらいですが、三つ目の危機は愛知県でおきたことなので、

ご紹介したいと思います。

 

信長・家康がもっとも手を焼いたと言われるのは、実は戦国武将ではなく「一向宗」と言われる集団でした。

「一向宗」というのは、ものすごく簡単に説明すると宗教集団で、その教えや自分たちの土地を守るために

武装していた集団です。

 

教科書にはのっていませんが、信長はこの一向宗となんども戦って痛い目にあっています。

 

家康も一向宗には手を焼いていて、三大危機のみっつめは「三河一向一揆」という一向宗との戦いでおこったことです。

 

三河一向一揆は、家康の家臣たちとの分裂の装いも呈しており、家康は大変な危機を向かえました。

そのとき、身を隠した場所が、いまでも岡崎に残っております。

 

岡崎城から豊川方面にむかったところにある山中八幡宮という神社です。

 

 

 

こちらもなかなかとわかりにくい場所にありますのでご注意を。

 

家康は当時、一向宗から敗走し、こちらの洞窟に身を隠したと言われています。

それがこちら

追手がこの中を探そうとしたところ、

洞窟から白いハトが飛び立ったので、「鳩がいるなら人が隠れているわけない」といって洞窟を探さず、

家康は生きながらえたと言われているそうです。

それから、この洞窟を「鳩ヶ窟」といい、八幡宮の山を御身隠山と呼ぶようになったんだそうですよ。

石碑にも「鳩ヶ屈」の文字がありますね。

 

家康はこのように、何度も危機にあいながらも、あのような長期政権を築いたのです。

 

現在、日本にはいろいろな危機がせまっております。

外敵による危機はもちろんありますが、大人の都合で起こっている危機もたくさんあります。

そんな大人の都合で起こしている危機に子供を巻き込まないでいてほしい。

 

子供たちだれもが、家康のような大人物になれる可能性をもっているのですから、

それを摘まないでいてほしいと思います。

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