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愛知歴史探訪 信長編6
みなさん、こんにちは。
都タクシーブログ担当のノロです。
日ごろからタクシーの運転手さんと接していると、本当にいろんな方がいらっしゃいます。
そんななかでも、よく感じることが、ゲンを担ぐドライバーさんが結構多いということです。
いつも同じルーティンで準備をして出庫する方もいれば、
営業車やカバンにお守りを付けていらっしゃる方もいます。
自分が事故にあったわけでもないのに、「事故を見てしまったから、今日はよくない」と言った運転手さんもいました。
一時期などは、私に触るとその日は高営収になるという噂が、都タクシーのなかにありまして、
必ず出庫前に、私の体をさわっていく運転手さんがいらっしゃいました。
こうやってゲンを担ぐというのは、普通の方でもよく聞く話ですが、
果たしてこの「ゲン」というのは、なんなんでしょうか。
感じでは「験」と書きます。仏教用語です。
修行を積んだ効果という意味だという説もあれば、
江戸時代までは、「縁起を担ぐ」と言っていましたが、
江戸時代に一時期、逆さ言葉が流行し、業界用語的に「エンギ」を「ギエン」と言い、
それが「ゲン」になったのだという説もあります。
さて、「ゲン」と言ったら失礼かもしれませんが、
以前の歴史探訪で紹介してきた、「桶狭間の戦い」において、まさしく「縁起の良いことが起きた」という事例がありました。
それは、名古屋随一のパワースポット。熱田神宮に関する話です。
熱田神宮といえば、三種の神器のひとつ「草薙剣」を祀る所以から
歴史上の人々には、とても崇拝されてきた神社です。
これをこの歴史探訪で紹介すると、神代の時代から説明しなくてはなりませんので、今回は割愛。
織田信長に焦点をあてます。
信長も、桶狭間の戦いの前に、戦勝祈願のために、この熱田神宮を訪れたとされています。
そして、そのとき、白鷺が社殿から飛び立ち、信長を今川義元が休憩している場所まで導いたとされています。
その石碑が、先日ご紹介した、「古戦場伝説地」から少し離れた公園のなかにのこっています。
場所は非常にわかりにくいので、訪れるのにはだいぶ苦労すると思われます。
私もこの写真をとるのに、手間取りました。
信長は、桶狭間の戦いの後、その大勝のお礼として
熱田神宮に築地塀を奉納しています。
それが、この「信長塀」です。
熱田神宮に訪れる方は多いですが、ここを知っていて尋ねるかたはあまりいらっしゃいません。
熱田神宮におこしの際には、うなぎやきしめんを食べる前に、
すこしだけ、この信長塀を訪ねてみてください。
私は、熱田神宮に何度もお参りに訪れていますが、
その際にはこの「信長塀」に必ず立ち寄ることにしています。
それが、私のゲン担ぎですね。