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愛知歴史探訪 コラム2
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
都タクシーの職員・乗務員あわせて、九州出身の方が結構います。
その中で、博多の方としゃべっていたときに、
「筑前煮は、秀吉が食べたから筑前煮と言うんだ」
という話を聞いたことがありました。
言われてみれば、豊臣秀吉は、
木下藤吉郎から羽柴秀吉になったとき、織田信長から筑前守の官位をいただいています。
ひょっとして、秀吉が考案したから「筑前煮」なのか?と調べてみると、
ちょっと内容は違いました。
もともと、福岡の地方では筑前煮のことを「がめ煮」と呼んだらしいのですが、
秀吉が朝鮮出兵の際、立ち寄った博多ですっぽん(すっぽんのことを福岡では「がめ」というらしい)を
入れて煮込んだことで付いた名前のようです。
そんなことを、歴史好きの友人と話していた時に、
それなら「治部煮」は石田三成と関係があるのか?
とその友人が言いました。
石田三成は、ご存知、関ケ原の合戦で、
家康と戦った戦国武将です。
三成は豊臣秀吉の臣下であり、「治部省」の官位をもってました。
また、治部煮は金沢の郷土料理で、鴨肉などを似た煮物です。
たしかに、筑前煮に似てるし、秀吉と三成の関係からみてもありそう……とおもって調べてみると。
これも違いました。
なんと「じぶじぶと煮るから」……と。
まさかのオノマトペ!!
でも、さらに調べてみると、これも秀吉との説が浮上しました。
「秀吉の部下で兵糧奉行だった岡部治部右衛門が朝鮮から持ち込んだことに因んだ」
……でも、石田三成には関係ありませんでした。
こうしてみると、いろんなところに戦国武将って絡んでいるんだなあと実感しましたね。
ですが、治部煮は、絶対、石田三成が関係したほうが
ロマンがあるよなあ……
と、カレーを食べながら考えた6月の午後でした。