つばめタクシー採用サイトつばめタクシーグループ
合同採用サイト

ブログ

blog

ブログ

愛知歴史探訪 秀吉編6 家康編8

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

今日も、秀吉vs家康となった、長久手の戦いの跡を辿っていこうかと思います。

 

先日は、古戦場公園のなかをご紹介しましたが、

公園をでても、長久手の町には戦いの跡が残っています。

 

まず、公園をでてすぐ、住宅街のなかにポツンとひとつの塚があります。

このあたりの地名にもなっている「武蔵塚」です。

「武蔵」というのは、宮本武蔵ではなく、

「鬼武蔵」とあだ名された森長可のことです。

 

長可は、織田信長の重臣で、槍の名手だったと言われています。

信長なきあと、秀吉に仕え、この地で討たれることになりました。

弟は、有名な森蘭丸です。

 

公園の中には、池田恒興の塚もありましたが、

池田・森の両名を失うことは、秀吉にとって相当の痛手になったと思います。

 

武蔵塚からさらに少し行くと、物騒な名前の公園に行き当たります。

血の池公園。

見た目は穏やかな公園ですが、このあたりで、

血まみれになった武器などを、洗い流したという言い伝えがあるそうです。

 

そうやって言われると、赤い花でさえ、いわくありげに見えてきます。

 

さらに少し歩くと、小高い山があり、そこに鳥居があります。

こちらを昇ると……小さなお社がありますが、こちらも

長久手の戦いの重要拠点でした。

こちらの山は、御旗山と言い、

家康が進軍し、こちらの山で金扇の馬印をたてた場所だと言われています。

たしかに、眺めの良い場所でしたので、戦況がよくわかったのかもしれません。

 

今日のブログで紹介した三つの地点は、

古戦場公園から少しの距離に存在していて、歩いても、レンタルサイクルでもまわりやすいところです。

 

周辺は静かな住宅街ですが、これほどの史跡が残っていますので、

大変、興味深い町であったと言えるのではないでしょうか。

 

次のブログで、長久手の戦いの紹介は終わりになります。

もう少しだけ、お付き合いください。

 

電話でのお問い合わせ

0120‐758‐280

受付時間:9時〜17時

時間外でも結構ですが、
お返事が遅くなる場合がございます

応募フォーム

今すぐ応募する