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愛知歴史探訪 🐵 秀吉編1+加藤清正編1

みなさん、こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

長々と連載している歴史探訪なのですが、

信長、家康というところをやっていながら、秀吉をやっていませんでしたので、

いよいよといいますか、秀吉編です。

 

なぜ、秀吉編をやらなかったかと言うと、灯台下暗しといいましょうか、あまりにもゆかりの地が近すぎて、

「いつでも行けるでよ」と名古屋弁で思っていたというのがあります。

 

信長・家康と違い、秀吉は純名古屋人ですが、

(信長は当初那古野生まれでしたが、勝幡になっているというのをご紹介しましたね)

その割に、関西での人気が高く、大阪京都のイメージが強いのも秀吉にはありますね。

 

ですが、生まれは、本当に名古屋も名古屋、名古屋の真ん中で生まれています。

 

名古屋の街中を走っていると、突然、どでかい鳥居が現れます。

名古屋の中村区にあります大鳥居です。

ここから参道があり、中村公園へと向かいます。そのなかにあるのが、

豊国神社です。

 

豊国神社というのは、京都にも有名なのがありますが、

こちらは、秀吉の出生地として明治時代に豊臣秀吉をお祀りするために建てられました。

何故、明治になってかと言いますと、

江戸時代は徳川の時代でしたので、豊臣秀吉を神として信仰することを禁止されていたためです。

 

豊国神社の御朱印は、秀吉らしく、金色の桐の紋が捺されています。

ちゃんと、「尾張中村 豊臣秀吉生誕之地」となっていますね。

ちなみに、私は京都の豊国神社にもいったことがあるのですが

そちらも、黄金の御朱印でした。京都の豊国神社も歴史的にすごく面白い神社ですので、行かれることをおすすめしますよ。

 

さて、豊国神社のとなりに、秀吉誕生の地があり、

石碑が建てられています。

秀吉の生まれ年はよくわかっていませんが、1537年ころではないかと言われています。

生まれた家が農家だったことはよくしられていて、しかも、秀吉の母である大政所は割と長く生きたお方だったのですが、

秀吉の父親に関してはよくわかっていないとされています。

 

公園の隣には太閤山常泉寺というお寺があります。

 

 

こちらには、産湯の井戸があります。

 

お寺の方が、「日本一長いひょうたんが飾られている」と説明してくださいました。

こちらでも御朱印をいただきましたが、やっぱり、金色でしたよ。

 

さて、本来でしたら、秀吉の出生地だけで、ブログを終えるところですが、

この公園の隣には、もうひとり、有名な武将の出生地とされる場所があります。

なので、そちらをご紹介したいと思います。

 

それが、こちら。太閤山常泉寺のお隣にある、妙行寺です。

 

でかでかと「清正公誕生之霊地」掲げられていますが、加藤清正の生誕の地です。

清正と言えば、やはりこの長烏帽子形兜ですよね。もともと身長が190cmほどあったといわれていますが、

それに、この長い兜をかぶっていたため、すごい大男に見えたという話が伝わっています。

 

加藤清正は、肥後藩の藩主や、熊本城築城のために、九州のイメージが強い武将ですが、名古屋市中村区の生まれです。

1562年に刀鍛冶師の息子として生まれたとされています。清正と言えば、築城のイメージですが、

クリエイティブなのは、父親から遺伝されていたのかなと感じます。

 

清正がこの地に住んでいたのは、3歳までで、以後は愛知県の津島に移ったとされています。

秀吉の母と、清正の母が親戚であったことから、将来は秀吉に仕えるようになるのですが、今回は、生誕の地の紹介ですので、ここまでですね。

 

中村公園の中には、秀吉と清正の資料館もありますので、ぜひ、そちらもご覧になっていただきたいところです。

 

これは、私がいつも思うことなのですが、秀吉・清正と言えば、戦国ではスターでして、

その生誕の地となれば、もっとスポットの当たっても良い場所と思っています。

 

ところが、名古屋観光では、名古屋城へ行く方は多いですが、

なかなか中村公園へ足を延ばす方は少ないように感じます。

もうちょっといろんなお店を誘致して、参道をにぎやかにすれば、もっと名古屋への観光客も増えるのではないか。

私は中村公園にくるたびにそれを感じてしまいます。

 

名古屋の観光がもっと盛んになることを豊国神社でお祈りしておいた

秀吉の歴史探訪第一弾でした。

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