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愛知歴史探訪 秀吉編8 家康編10

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

先日まで、秀吉vs家康の激闘があった長久手市を中心にお話してきましたが、

この戦いには、実は続きがありまして、それがあまり紹介されませんが

とても興味深いものですので、ぜひ、紹介したいと思い、先日現地まで行ってきました。

 

行ってきたのは、名古屋市の西に位置する蟹江町という町です。

先日、このブログでご紹介した、前田城址からわりと近くです。

 

入り組んだ住宅街のなかにポツンと蟹江城址があります。

本当にわかりにくい場所にあるうえに、車ではいっていくことができません。

近くの歴史民俗資料館へ車を停めて、こちらまで歩いて移動しました。

蟹江という地名のいわれが書かれています。

今ではそんなところはかんじさせませんが、当時は海が近く河口付近であったため蟹がたくさんいたことから……と書いてあります。

戦国時代、蟹江は尾張有数の港町で、海運の要所でした。

 

長久手の戦いで実質的な負け戦となった秀吉は、大阪城へとひっこみ、

家康は清州城、織田信雄は三重県の桑名城へと居を移します。蟹江城には信雄の臣下である佐久間正勝がおさめていました。

実は蟹江は、家康と信雄をつなぐ重要拠点だったのです。

これに目をつけた秀吉が、臣下の滝川一益を送り込みます。

当時、蟹江城の留守を任されていた前田長定は一益と親類関係でしたので、織田・徳川連合軍を裏切り、秀吉側についてしまいます。

これにより「蟹江合戦」と呼ばれる戦いが幕を開けるわけです。

 

織田・徳川連合軍は、これを取り戻さんと蟹江を攻め、取り返したわけです。

結局、秀吉は長久手でも蟹江でも家康に敗れ、これ以後、戦力にて家康を屈服させるのを諦めることになります。

 

そういう意味では、二人の関係性を確定付けた合戦ともいえます。

 

この城址の近くには、本丸の井戸のあとものこっています。

 

今では住宅街にひっそりと残る蟹江城ですが、

その歴史的意味は大きいわりに、あまり紹介されないのは非常に残念です。

 

来年の大河では、ぜひとも時間を割いてやっていただきたいなあと思いました。

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