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愛知歴史探訪 本多忠勝編1
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
毎度おなじみ歴史探訪で家康のことを少し書いてまいりましたが、
家康のことを書いていると、この人のことを書かずにはいられないということで、
今回は、徳川四天王のひとり、本多平八郎忠勝 編です。
男という生き物は、子供のころからそんなに精神的に成長しない生き物で、
なんでもかんでも「最強」を決めたくなってしまいます。
それで、「戦国武将 最強はだれだ?」という会議を、歴史好きの男性で行うと
必ずと言っていいほど名前があがるのが、この本多忠勝です。
こちらは、岡崎城公園のなかにある本多忠勝の像。
徳川家康の家臣として、戦国の世にその名を轟かせました。
織田信長からは、「花も実も兼ね備えた武将」を称され、
豊臣秀吉からは、「日本第一、古今独歩の勇士」と言われました。
また、敵である武田軍の小杉左近からは、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」
とまでうたわれたと言われています。
なんといか、私もこんな感じに褒められてみたいものです。
生涯において、57回の戦に臨み、一度も傷をつくらなかったなんて逸話も残っています。
その手に持つ槍は、天下の名槍「蜻蛉斬」。
その穂先にとまったトンボが真っ二つに切れてしまったという武器の槍にまで驚きのエピソードが残っています。
以前、家康の回に紹介した、岡崎城公園のなかの資料館には、蜻蛉斬のレプリカがありますので、
ぜひ、ご覧になってください。
これとは別に、穂先の部分のレプリカもあるのですが、それは写真撮影が禁止になっていました。残念。
そんな数々の逸話をのこす「戦国最強」本多忠勝なのですが、
やはり愛知県ゆかりの武将でして、いくつかそのあしあとが残されています。
生まれは、家康と同じく、岡崎市。
西蔵前というところに、今でも碑がたてられています。
こちらの碑は、一応、岡崎市の指定文化財になっているのですが、
ものすごい住宅街のなかに、ぽつんとあって、非常にわかりにくくなっておりますので、
訪れる際にはご注意を。
信長、秀吉、家康の三人は知っているけど、さすがにそれに仕えた武将までは……という方も多いかもしれませんが、
ぜひとも記憶にとどめておいていただきたい愛知出身の武将を、今回はご紹介させていただきました。