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愛知歴史探訪 家康編4+本多忠勝編2

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

この歴史探訪のブログを書いていて、一番こまるのが

掲載する順番です。

 

近い場所にあるのに、歴史的にはあとだから、遠い場所に写真とりにいってから……とか、

こちらの武将を先に紹介してしまうと、あとからこちらの武将を紹介するときに遡ることになってしまう……とか

いろいろと難しい問題があるのです。

 

信長編が桶狭間で止まっていたり、秀吉よりも家康の方が進んでいたりするのも

この場所を書くためでした。

 

信長と家康。ふたりの英雄の関係は、時期によって複雑で、敵だったり、人質だったり、味方だったりと、

ころころと変わるので、非常に順番が難しいです。

 

今回の歴史探訪は信長にも家康にも深くかかわりがありながらも、

歴史の教科書ではまず語られることのない、名古屋の中にあるひとつの城跡をとりあげようと思います。

 

信長編で紹介した「桶狭間の戦い」は、織田vs今川の戦いなのですが、

家康は当時、今川側の人間でした。

 

名古屋市緑区の桶狭間の近くにある、大高という地には、当時、大高城というお城があって、

そこは、織田vs今川の最前線でした。

 

 

もともと、織田側のお城であった大高城が今川に奪われ、最前線である大高城を奪うべく

信長は大高城の近くに砦を築きます。

 

 (この砦も跡がのこっていますので、大高城巡りの際にはぜひ立ち寄ってみてください)

 

このとき、家康(当時の名前は 松平元康)は今川軍の先鋒として

この砦を落とす役目と、大高城への兵糧入れの命を受けます。

 

前述したように、大高城は、最前線であり激戦区。

ですが、家康はこの難しい兵糧入れをやってのけます。

 

これは、「大高城兵糧入れ」と言われ「桶狭間の戦い」の前哨戦として有名です。

 

実は、このとき14歳の本多忠勝も、この兵糧入れの際、初陣を飾り初首をとっていると言われています。

この大高城は、家康と忠勝、ふたりの若い武将がその才能の片りんをみせた場所でもあるのです。

 

そんな歴史的に重要な場所のはずなんですが、非常にわかりにくい場所にあるだけでなく、

城跡の碑が立っている写真をご覧になってみてください。

もう、草が生い茂ってよくわからない状態でした。

解説文も上のふたつの看板のみ。

 

私がいつも、このブログで愚痴をいうのですが、もうちょっとしっかり整備して

世に知らしめてほしいと。

私がこの撮影に行ったとき、ほかにも二組の見学者がいて、

そのうち一組は「もっと詳しくかいてあるのないのかな」と言っていました。

 

桶狭間は歴史的にも有名な場所なので、それと合わせてもっとうまく観光地化すれば

名古屋にももっと人が来てくれると思うのです。

 

現在、小学生のうちから英語を習うそうですが、私としては、もっと郷土史や日本史に目をむけて

日本の文化や史跡を若い人たちに残し、守っていってほしいと思う今日この頃です。

 

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