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愛知歴史探訪 山内一豊編2
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
三英傑じゃないけど、大河ドラマの主役になった愛知出身の戦国武将。
本日も山内一豊のお話をしたいと思います。
山内一豊は、この尾張の出身だということは間違いないのですが、
出生地の説が二つあり、その一つが先日お話した愛知県一宮市。
もうひとつが、愛知県岩倉市です。
以前、さくらのスポットで有名な五条川をこちらのブログで紹介いたしましたが、
その五条川沿いにある、町の一角にある小さな神社があります。
神明生田神社という小さな神社の境内に、その生誕地の案内があります。
非常に道がせまくて、車では行き辛いばかりか、道も入り組んでいてわかりにくい場所にありました。
非常に立派な生誕碑があります。
こちらは、大河ドラマ「功名が辻」の放映を記念してつくられたそうです。
山内一豊の家紋、三つ柏紋です。
山内一豊は、晩年は土佐の領主として高知で過ごすのですが、
三菱の岩崎弥太郎氏は、土佐の出身で、この山内一豊の家紋から、インスパイヤされて三菱のマークにしたと言われています。
さて、なぜ、一豊がこの岩倉市誕生の説があるかと言うと、
一豊の父である、山内盛豊が、当時、この岩倉をおさめていた織田伊勢守の家老を務めていたといわれているからです。
この一豊の誕生碑から少し離れた場所に、岩倉城址も残されています。
こちらは比較的大きな通り沿いにあるため、わかりやすい場所にあります。
しっかりとした案内板や解説も付け加えられています。
一豊編1でもお話いたしましたが、岩倉の織田氏は、
信長の織田氏と対立していました。
1559年に信長は、岩倉の織田氏を制圧し、尾張統一を果たしたといわれています。
一豊はこののち、諸国を放浪したようです。
大河ドラマ「功名が辻」は、
司馬遼太郎の同名小説を映像化したものです。
「功名」とは、名を上げること。
「辻」とは十字路のこと。この場合は分岐点をしめします。
一豊は分岐点を見定め、戦国時代という時代のなかで
確実に名を上げてきた武将と言える人です。
タクシー業界は、コロナであったり、新しい配車方法が生まれたりと
いま、分岐点に立たされています。
ここで、タクシー業界の「功名が辻」をしっかりと見定め、
業界に名を残したいと思いながら、山内一豊の生誕地の神社にお参りした
夏の一日でした。