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愛知歴史探訪 前田利家編2

こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。

 

タクシー会社に長いこといますと、

本当にいろいろな人が運転手でやってきます。

 

そのすべてが中途採用なので、年齢もいろいろなんですが、

新しく来た社員さんは、どんな年齢でも都タクシーでは「後輩」になります。

 

あまり人の輪に溶け込もうとせず、黙々と売り上げを上げる方もいらっしゃいますし、

皆の誘いにのって、売り上げよりプライベートで使うお金が多いなんて人もいらっしゃいます。

 

戦国武将もやっぱりそれぞれで、運転手さんをみていると

「あの人は信長タイプ」とか、「あの人は人たらしだから秀吉タイプ」とかひそかに考えています。

 

 

前田利家と言う人は、先輩からも後輩からも慕われるタイプでしょうか。

信長からは可愛がられ、秀吉とは信長の臣下時代から仲が良く、

いろいろな人の中を取り持つような役柄の人だったと、いろいろなところで記されています。

 

 

前回のブログで、前田利家は、名古屋市中川区荒子の生まれだということ紹介しましたが、

実は、同じく中川区内に、こちらの生まれではないかと言われる場所があります。

 

その地名の名は、中川区前田西 という地名です。

 

荒子観音から、歩いて30分以上かかると思います。

車なら10分程度。

前田橋という橋をわたったところに、お寺があります。

 

その名も前田速念寺。

こちらは、前田氏の一族が居城としていた場所です。

 

 

前田利家は、こちらで生まれ、荒子へ移り住んだという説と、

荒子で生まれたという両方の説があります。

 

こちらの見どころは、何といっても、お寺の本堂の形です。

 

前田利家が装備していたと言われる「鯰尾兜」の形をしています。

 

以前のブログにも書きましたが、前田利家は

当時の日本人の身長が160以下と言われるなかで、180cmを超える身長をしていて、

さらにこの兜をしていたものですから、さぞ、目立ったと思われます。

 

信長・秀吉には好かれたと前述した利家ですが、

家康との仲はどうだったのでしょうか?

 

秀吉が天下をとってから、家康と同じく五大老を務めていた利家ですが、

秀吉の死後、家康がその後の天下を握らんと動き始めたとき、

利家と家康は、一触即発の状態までに及んだと言われています。

 

やがて、利家は病床に伏すことになるのですが、

家康がその見舞に訪れたとき、太刀を布団のなかに忍ばせていたというエピソードまで存在します。

 

家康と利家を謡った面白い一節が残っています。

 

天下 葵よ 加賀様 梅よ 梅は葵の たかに咲く

 

天下をとった徳川の葵よりも、前田の梅の方が高い位置に咲くという歌です。

こういった誇り高いところも、利家の魅力のひとつだと思います。

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