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愛知歴史探訪 秀吉編4 家康編6
こんにちは、都タクシーのノロです。
今日はひさしぶりに家康編です。
じつに、2カ月ぶり近くになるでしょうか。
その場所へ行こうと思っても時間が取れず、なかなか戦国物が進まないのが現状です。
ひとことに愛知県と言っても、信長、家康、秀吉を追うだけで東奔西走することになり、
車のない時代に戦国武将たちはこれを走り回っていたかと思うと、改めてそのバイタリティを思い知るわけです。
……と、前置きはここまでにして。
信長が亡くなって、歴史は秀吉を中心に回り始めるわけですが、
その秀吉がいつまでも目の上のたんこぶだと思っていたのが家康です。
信長が亡くなり、その跡目争いのなかで、ついに家康と秀吉が相対するのが、この愛知。
その激戦を、数回にわけてご紹介していきます。
前回、秀吉編の3で、信長の三男、織田信孝の話をしましたが、
信長の次男、織田信雄も、最初は秀吉と近い距離にいましたが、
秀吉に安土城を追い出されて、秀吉不審に陥ります。
そんな信雄が、近づいたのが徳川家康。
信雄は、秀吉に通じていたという理由で三人の部下を殺害するのですが、
これが事実上の宣戦布告となり、秀吉vs織田信雄・家康という形になるわけです。
愛知県ではまず、犬山がこの戦場になります。
犬山城は当時、信雄の重臣である中川定成の居城でしたが、
留守の隙に、秀吉側の池田恒興に奪取されてしまいます。
犬山城というところは、現在では、愛知県では唯一と言っていいほど
観光地化に成功したところで、その城下町にたくさんの観光客が訪れます。
いずれ、ブログでも紹介したいところです。
さて、ここで、家康が動き、小牧山城に入ります。
秀吉も犬山にはいり、家康vs秀吉が膠着状態になってしまいます。
小牧山城は、その名の通り、小牧にある小さな山の上にあるお城です。
高速道路の小牧JCT近くにあるので、高速道路を走っていて目にしたことも多いと思います。
自然豊かな山で、その城郭につくまでにけっこういい運動になりますよ。
名古屋からも近く、県営空港からも近い
小牧山城のふもとには、以前、ブログでも紹介した
おっぱい寺などもありますので、訪れてみるのもよいかもしれません。
犬山も小牧も山城でして、最近では山城を訪ねるのが年々きつくなってきています。
戦国武将というのは、その山を重い装備を身に着けて登っていたのですから、本当にすごいですね。