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愛知歴史探訪 江編
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
昨今は、多様性とか、女性の権利とかを声高に言われます。
私はもともと、多様性や社会での女性活躍は賛成なほうですが、
今のやり方はひどく違和感を感じています。
気付いていますでしょうか。食料品や調味料、食器用洗剤など、料理を作るシーンを演出するCM、
今、ほとんど男性が料理してますよね。これは、男性を料理に起用したほうが、クレームが少ないからだそうです。
これだと、男女平等より、女尊男卑のような気がしますね。
前置きが長くなりましたが、歴史探訪は、初めて女性を取り扱います。
どうしても、戦国物を取り扱うことが多かったので、女性に触れることはありませんでした。
が、今回は、戦国物でも女性です。
その女性は「江」。
浅井三姉妹として有名で、三姉妹の末っ子になります。
大河ドラマにもなりましたね。大河ドラマにもなるほど、この三姉妹、特に江は、波乱万丈の人生を送られた方です。
江の父親は、浅井長政。母は信長の妹、お市の方。
浅井長政は、北近江を治める武将で、信長と同盟を結んでおりましたが、
後に決別。織田軍に本拠である小谷城を包囲され、自害します。
(ちなみに、上の写真は、愛知県ではなく、北近江にある道の駅です)
このとき、お市の方と三姉妹(当時ふたりの姉妹だった。つまり江は生まれていなかったとの説もある)は
信長に保護されたとされています。
その後、信長が本能寺の変で討たれると、その後、お市の方が織田家の古参である柴田勝家に嫁ぎ、
江も柴田勝家の本拠、北ノ庄で暮らすことになるのですが、
信長なきあとの勢力あらそいで、勝家と秀吉が対立。勝家とお市の方は自害をします。
秀吉は、もともとお市の方が大好きだったと言われていて、
このとき、浅井三姉妹を保護し、長女で、お市の方生き写しだったと言われる
茶々を側室にします。
さて、長くなりましたが、こののち、江は知多半島の大野というところの
佐治一成という方と結婚します。
今回はそちらへ行ってきました。
こちらが現在の大野城。セントレアがある常滑のほど近くにあります。
小高い山に建てられた山城で、現在は展望台がわりのお城跡になっています。
こちらのパネルには、江と佐治一成は、なかよしさんとなっていますが、
はたして、それも難しいところです。
江が嫁いだとされてすぐに、佐治一成と離縁をしているからです。
結婚も離縁も、秀吉の意向が働いたと言われていますが、この結婚に関しては、諸説あるのでよくわかっておりません。
それはさておき、現在の大野城展望台は、とても眺めが良いところです。
天気が良ければ、もっときれいに海が見渡せたことでしょう。
海が近く、魚もうまいし、良いところだと思いますが、江の心情はいかばかりかと思います。
この土地を離れたのち、江は、
秀吉の甥で養子の秀勝に嫁ぐことになります。ここでは、子供をひとりさずかるのですが、
その生活も長くは続きませんでした。
なぜかと言えば、朝鮮出兵のとき、病にかかり秀勝が死んでしまうからです。
そして、こののち、徳川秀忠と結婚。
秀忠は、豊臣秀吉の養女と婚約していたのですが、その養女が死亡したための穴埋め結婚です。
江は、秀忠の6つ年上。
ですが、秀忠との間には7人の子供を授かっています。
その中のひとりが、三代将軍 徳川家光です。
波乱万丈の人生を送った江ですが、最後には、二代将軍の妻となり、
三代将軍の母となるわけです。
こういった戦国時代の女性の話をきくと、女性は男性のもちものや
交渉事の道具として扱われてきたと思われるかたもおおいかもしれませんが、
戦国時代の姫と生まれたからには、家や血の存続にかかわる重要な役割を
女性が果たしてきたということにもなります。
戦国の姫たちには、そういった信念がきっとあったのではないでしょうか。
女性の歴史を調べれば調べるほど、そういった信念が垣間見れることがあります。
今までの歴史ブログをご覧になっている方は、ひょっとすると感じるところがあるかもしれませんが、
浅井三姉妹が大好きな私といたしましては、どうしても秀吉が嫌いになってしまうんですよね。
なので、いまいち、秀吉のことを書くブログはテンションがあがらないのです。
ですが、戦国物のブログは、これから秀吉vs家康になります。
どうしても家康ひいきになってしまうことをお許しください。