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愛知歴史探訪 信長編7
こんにちは。都タクシーブログ担当のノロです。
ようやくもって、信長編の7を書くことができます。
信長編6のアップが2/3というのですから、二か月以上経過してからの7となります。
今回は、有名な長篠の戦いなのですが、ここへ至るまでに
徳川や武田の動き、そして名もなきひとりの武将を書いておく必要があったんです。
歴史の授業がつまんないと感じるのは、どうしても暗記科目になってしまい、
そこでドラマを語らないからです。
この長篠の戦いも歴史の教科書であれば、「信長が当時としては珍しく、鉄砲を主力にたたかって、武田軍をやっつけましたよ」
的な文章だけです。
ですが、ここに至るまでに、私が紹介してきたようなドラマがつまっていたわけです。
こういったことが語られて「歴史って面白い」となるわけですね。
さて、前置きはここまでにしておいて、長篠の戦いです。
長篠の戦いというのは、信長、秀吉、家康が同じ味方同士で戦う、珍しい合戦です。
実は、この三役そろい踏みというのは、なかなかありません。
(私が知る限りでは、金ケ崎崩しに姉川の戦いくらいです)
合戦自体は、教科書にかいてある通りなのですが、
この戦場となった、長篠、設楽原というのは、とにかく広く、
いろいろなところにスポットが存在していて、紹介しきれません。
なので、主だったところだけ。
こちらは、設楽原歴史資料館。
武田信玄編でもお話しましたが、「信玄砲」が飾られている資料館です。
武田、徳川、織田の動きがわかりやすく年表ではってあります。
そのほかにも、たくさんの火縄銃が飾られていますよ。
資料館の近くには、戦の展開図と、有名な馬防柵があります。
武田の騎馬をこれで寄せ付けず、鉄砲で討ったというのは、あまりにも有名ですね。
さて、ここでお気づきになったと思いますが、「いろはかるた」的なうたが、
この合戦の跡地にちなんだ場所にのこされています。
なので、本当にいろんな場所にこのかるたうたが残されていて本当に
まわる場所がたくさんあるんですよ。
ちなみに、昭和の喫茶店やゲームセンターで流行した「スペースインベーダー」。
これの「ナゴヤ打ち」という技法は、この長篠の戦の戦い方から
名前が付けられたと言われていますよ。
長篠の戦いの跡地で、一番訪れやすいのは、こちらです。
新東名高速道路の長篠設楽原PA。
こちらには、信長の本陣跡があります。
ここにもいろは歌がありますね。
PAに車をとめていくこともできまるので、便利です。
売店には歴史グッズもたくさん売ってます。
さて、この戦で勝利をおさめた信長は、
翌年安土城を築きあげ、その城主となります。
なので、信長編は、これで最後になりそうです。
これからも、家康・秀吉、それだけではなくて、愛知県にゆかりのある歴史について
書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。